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東京高等裁判所 昭和62年(ネ)3837号 判決 1996年12月25日

第三八三七号事件控訴人・第三七七五号事件被控訴人

(一審本訴原告・反訴被告。以下「一審原告」という。)

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

才口千晴

北澤純一

第三七七五号事件控訴人・第三八三七号事件被控訴人

(一審本訴被告・反訴原告。以下「一審被告」という。)

甲野春子

主文

一  一審被告の控訴及び一審原告の当審における財産分与申立に基づき、原判決主文第三項を次のとおり変更する。

1  一審原告から一審被告に対し、別紙物件目録記載一の土地の持分一三六万五二五四分の三六五四を分与する。

2  一審原告は、右1の土地につき、東京地方裁判所昭和六一年(ワ)第一一五八八号土地建物所有権移転登記抹消登記請求事件(反訴・平成四年(ワ)第一六九九六号)の判決に基づく別紙主文目録記載第一の一1(一)(1)ないし(3)、同目録記載第一の二1(一)及び同目録記載第一の三1(一)の各登記がなされたときは、一審被告に対し、財産分与を原因とする持分一三六万五二五四分の三六五四の移転登記手続をせよ。

3  一審原告から一審被告に対し、別紙物件目録記載二の建物の持分三分の二を分与する。

4  一審原告は、右3の建物につき、前記訴訟事件の判決に基づく別紙主文目録記載第一の一2(一)(1)ないし(3)、同目録記載第一の二1(二)及び同目録記載第一の三1(二)の各登記がなされたときは、一番被告に対し、財産分与を原因とする持分三分の二の移転登記手続をせよ。

5  一審原告から一審被告に対し、別紙物件目録記載三の建物の持分四分の三を分与する。

6  一審原告は、右5の建物につき、前記訴訟事件の判決に基づく別紙主文目録記載第一の一3(一)の登記がなされたときは、一審被告に対し、財産分与を原因とする持分四分の三の移転登記手続をせよ。

7  一審原告から一審被告に対し、別紙物件目録記載四の土地の持分一〇分の三を分与する。

8  一審原告は、右7の土地につき、前記訴訟事件の判決に基づく別紙主文目録記載第一の一4の登記がなされたときは、一審被告に対し、財産分与を原因とする持分一〇分の三の移転登記手続をせよ。

9  一審被告から一審原告に対し、別紙物件目録記載五の建物の持分一〇分の一(敷地賃借権を含む。)を分与する。

10  一審被告は、右9の建物につき、一審原告に対し、財産分与を原因とする持分一〇分の一の移転登記手続をせよ。

二  一審原告及び一審被告のその余の控訴をいずれも棄却する。

三  一審原告の当審における新請求につき、

1  一審原告と一審被告とを離婚する。

2  一審原告のその余の当審における新請求を棄却する。

四  一審被告が当審において拡張した慰謝料請求を棄却する。

五  本訴及び反訴の訴訟費用は、第一・二審を通じてこれを三分し、その一を一審原告の負担とし、その余を一審被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  一審原告

1  原判決中一審原告敗訴部分を取り消す。

2  右部分の一審被告の請求を棄却する。

3  一審原告と一審被告を離婚する(当審における新請求)。

4  一審被告は、一審原告に対し、一〇〇〇万円を支払え(当審における新請求)。

5  一審被告は、一審原告に対し、相当なる財産を分与せよ(当審における申立)。

6  一審被告の控訴及び当審において拡張された請求を棄却する。

7  訴訟費用は第一・二審とも一審被告の負担とする。

二  一審被告

1  原判決中一審被告敗訴部分を取り消す。

2  右部分の一審原告の請求を棄却する。

3  一審原告は、一審被告に対し、慰謝料五〇〇〇万円を支払え(当審において拡張された。)。

4  一審原告から一審被告に対し、別紙物件目録記載一及び二の土地建物(以下「幡ケ谷のマンション」という。)の持分六分の二(但し、右土地については共有持分一三六万五二五四分の一八二七)を分与する。

5  一審原告は、一審被告に対し、幡ケ谷のマンションの右持分について財産分与を原因とする移転登記手続をせよ。

6  一審原告から一審被告に対し、別紙物件目録記載三の建物(以下「長野市の建物」という。)の持分八分の三を分与する。

7  一審原告は、一審被告に対し、長野市の建物の右持分について財産分与を原因とする移転登記手続をせよ。

8  一審原告から一審被告に対し、別紙物件目録記載四の土地(以下「軽井沢の土地」という。)の持分二分の一を分与する。

9  一審原告は、一審被告に対し、軽井沢の土地の右持分について財産分与を原因とする移転登記手続をせよ。

10  一審原告から一審被告に対し、別紙物件目録記載五の借地権付き建物(以下「大原の建物」という。)の持分二〇分の九を分与する。

11  一審原告は、一審被告に対し、大原の建物の右持分について財産分与を原因とする移転登記手続をせよ。

12  一審原告は一審被告に対し、財産分与として一〇〇〇万円を支払え。

13  一審原告の控訴及び当審における新請求を棄却する。

14  訴訟費用は第一、二審とも一審原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  一審原告の本訴の請求原因

1  婚姻関係

一審原告(昭和四年一一月二六日生まれ)と一審被告(昭和一一年五月一八日生まれ)は、昭和三三年一二月三日に婚姻の届出をした夫婦である。そして、一審原・被告の間には、長男純一(昭和三四年一二月七日生まれ)及び二男和也(昭和三八年五月一二日生まれ)のいずれも成人した二子がいる。

2  協議離婚無効確認請求

(一) 昭和六一年二月一九日付けで、京都市下京区長に対し、一審原告と一審被告の協議離婚の届出がなされ、戸籍に離婚の記載がなされている。

(二) しかし、右届出は、一審被告が一審原告作成部分を偽造して届出書を作成し、一審原告に無断でしたものであるから、右協議離婚は無効である。

(三) よって、一審原告は、一審被告に対し、右協議離婚が無効であることの確認を求める。

3  離婚等請求(一審原告の求めた裁判3ないし5。当審における新請求及び新たな申立である。)

(一) 次のとおり、一審被告は一審原告を悪意で遺棄し、かつ、一審原告と一審被告の間には婚姻を継続し難い重大な事由がある。よって、一審原告は、一審被告との離婚を請求する。

(1) 一審被告は、昭和五二年ころまでの間に、一審原告に無断で一審原告所有の不動産の登記名義を一審被告名義に変更した。

(2) 一審被告は、一審原告が一審被告の財産の横領を企てあるいは一審被告を精神病院に入院させようとしているという妄想を持ち、昭和六〇年一〇月五日、突然家出をした。

(3) 一審被告は、右家出の際、住居(大原の建物)内にあった家財道具や一審原告が蒐集した多数の書画骨董類を無断で持ち出した。

(4) 一審被告は、前記のとおり無断で協議離婚届出をした。

(5) 一審原告と一審被告は、一審被告の前記家出以後別居状態にある。

(6) 一審被告は、同居中、一審原告を精神的、肉体的に虐待した。

(二) 一審原告は、右(一)の原因により離婚のやむなきに至り、精神的苦痛を被ったが、右苦痛に対する慰謝料は一〇〇〇万円とするのが相当である。よって、一審原告は、一審被告に対し、右慰謝料の支払を求める。

(三) 一審原告は、離婚に伴い相当な財産分与がなされるべきことを申し立てる。財産分与の方法に関する一審原告の意見は、後記四のとおりである。

二  本訴の請求原因に対する一審被告の答弁

1  1は認める。

2  2の(一)は認め、(二)は否認する。一審原告主張の届出は一審原告の承諾のもとに一審原告の意思に基づいてなされたものである。

3  3の(一)のうち、一審被告が一審原告主張の日に家を出たこと及びその後別居していることは認めるが、その余は否認する。同(二)は否認し、(三)は争う。

三  一審被告の予備的反訴の請求原因

1  離婚請求

一審原告の協議離婚無効確認請求が認容される場合には、次のとおり、一審原告は一審被告を悪意で遺棄し、かつ、両者間には婚姻を継続し難い重大な事由があるから、一審被告は、予備的に、一審原告に対し、離婚を請求する。すなわち、一審原告は、昭和四八年ころから一審被告を精神病者であるかのように扱い、昭和五六年三月三日に東京家庭裁判所に夫婦関係調整の調停を申し立てて一審被告を精神病者に仕立てる等虚偽の主張をし、昭和六〇年一〇月五日には精神病院の車を手配して一審被告を入院させようとした。そのため、一審被告は、身の安全を守る目的で大原の建物を出たが、一審原告は、一審被告が家を出ると、鍵を取り替えて一審被告が出入りできないようにし、一審被告を悪意で遺棄した。また、このようなことから、一審被告と一審原告の婚姻関係は破綻し、円満な関係に回復する見込はない。

2  慰謝料請求(一審被告の求めた裁判3。当審において請求が拡張された。)

(一) 一審被告は、一審原告との同居生活中、一審原告から精神的虐待を受け(とりわけ、精神病者に仕立て上げられた。)、財産を横領され(とりわけ、訴訟を利用し証拠を偽造し偽証を用いることにより一審被告の不動産を取り上げられた。)、また不貞行為等により苦しめられた。そのため、一審被告は離婚を決意せざるを得なくなり、精神的苦痛を被ったが、右苦痛に対する慰謝料は、五〇〇〇万円とするのが相当である。

(二) 右慰謝料の算定については、右(一)のほか次のことが考慮されるべきである。

(1) 一審被告は、婚姻後昭和五二年までの間に、一審原告に対し、一審被告の金銭等合計三〇〇〇万円を預託したが、一審被告はその返還を受けていない。

(2) 大原の建物は、一審被告が実質上二〇分の一一の共有持分を有するものである。ところが、一審原告は昭和六〇年一〇月以降大原の建物から一審被告を追い出して不法に単独で使用しているところ、その賃料相当額は一か月四〇万円以上であるから、一審原告は、平成八年五月までの一二八か月間でも合計五一二〇万円の二〇分の一一である二八一六万円を不当に利得している。

3  財産分与の申立(一審被告の求めた裁判4ないし12。当審で右のとおり財産分与の方法に関する意見が改められた。)

(一) 幡ケ谷のマンション、長野市の建物及び軽井沢の土地は、いずれも婚姻後取得されたものであるが、これらは一審被告が一審被告固有の財産(株式売却代金等)を出捐して取得したものであり、一審被告の固有財産である。しかし、一審原告は、これらの不動産について一審原告に権利があると主張して一審被告その他の者を相手として訴えを提起し、証拠の捏造あるいは偽証等を利用してその第一審(東京地方裁判所昭和六一年(ワ)第一一五八八号及び平成四年(ワ)第一六九九六号(反訴)事件)並びに控訴審(東京高等裁判所平成七年(ネ)第五三八七号事件。以下、右一・二審の訴訟事件を「所有権訴訟」という。)とも大部分勝訴し、右各判決により、幡ケ谷のマンションについては一審原告が六分の四の、長野市の建物については一審原告が四分の三の各共有持分を有し、軽井沢の土地については一審原告が単独の所有権を有すると認定され、右判決は確定した。そこで、一審被告は、本件訴訟ではやむなく右所有権訴訟の認定のとおり一審原告が権利を有する(その余は一審被告の固有財産である。なお、右固有部分を財産分与の対象とすることは許されない。この点は大原の建物についても同様である。)ものとして、一審原告に対し、幡ケ谷のマンションについては前記六分の四の二分の一(一審被告の寄与分は二分の一を下らない。)である六分の二の、長野市の建物については前記四分の三の二分の一である八分の三の、軽井沢の土地については二分の一の各持分を一審被告に分与すること及び右財産分与に対応する持分移転登記手続をするよう請求する。

(二) また、大原の建物は、婚姻後、持分を一審原告一〇分の九、一審被告一〇分の一の共有として購入したものであるが、一審被告の右持分一〇分の一は、一審被告が購入代金のうち五六〇万円を負担したことに伴うもので一審被告の固有財産である。したがって、一審被告は、大原の建物について、一審原告の右一〇分の九の持分の二分の一である二〇分の九を分与すること及び右分与に対応する持分移転登記手続をするよう請求する。

(三) このほかに、一審原告は、婚姻後、長野市内所在の若槻団地及び浅川団地の不動産を購入したうえこれらを売却しているが、これらの売却代金は合計四四四〇万円である。そして、一審被告には、この関係で一〇〇〇万円の財産分与がなされるべきである。

四  三の主張に対する一審原告の答弁

1  1のうち、一審被告が家を出たこと及び婚姻関係が破綻し回復の見込がないことは認めるが、その余はすべて争う。婚姻関係の破綻を生じさせた責任はすべて一審被告にあるから、一審被告から離婚の請求をすることは許されない。

2  2はすべて争う。

3  3のうち、所有権訴訟の提起とその結果に関すること及び一審被告主張の不動産((三)のものを除く。)が婚姻中に取得されたものであることは認め、その余は争う(大原の建物については、一審被告は一〇〇万円の取得資金を出捐したのにすぎない。)。一審原告は、幡ケ谷のマンション、長野市の建物及び軽井沢の土地について所有権訴訟の認定のとおり権利を有するものであり、また、大原の建物について一〇分の九の持分を有するものである。そして、これらの不動産が財産分与の主たる対象となるが、右不動産を一審原・被告の共有として残す方法による財産分与は相当でない。なお、財産分与については、前記のとおり一審被告が一審原告所有の高額な書画骨董類を持ち去っていること並びに一審被告は幡ケ谷のマンション及び長野市の建物を賃貸し賃料収入を得ていることも考慮されるべきである。

第三  証拠関係

原審及び当審記録中の証拠関係目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第一  一審原告の協議離婚無効確認請求について

証拠(甲一の一ないし五、二の一ないし三、乙一、二、四の一ないし三、一審原告、一審被告(原審及び当審一・二回))並びに弁論の全趣旨によれば、一審原告と一審被告は本訴の請求原因1のとおり婚姻し二子を有するものであるところ、同2(一)のとおり協議離婚届出及び戸籍の記載がなされていること、しかし、右届出は、一審原告が承諾をしていないのに、一審被告が、一審原告の実印に似せた印章を作りこれを利用して届出書(甲二号証の三)を作成したうえ無断で届け出たものであり、一審原告には離婚意思がなかったことを認定することができる。一審被告の右供述のうちには、一審原告は事前に別の協議離婚届出書(乙四号証の二)に署名押印して一審被告に渡していたし、委任事項を「離婚に関する一切の手続き」とし受任者を一審被告とする委任状(乙四号証の一)を作成して一審被告に交付していたから、一審原告には協議離婚の意思があったという部分がある。しかし、乙四号証の二の一審原告の署名押印欄の印影は、乙四号証の三と対照すると、一審原告の実印の印影に酷似してはいるものの細部で異なることが明らかであり、むしろ一審被告が無断で作った前記印章(甲二号証の三に使用されたもの。同号証の欄外の捨て印が比較的鮮明であり対照に用いることができる。)と特徴が一致することが明らかであある。したがって、乙四号証の二の前記印影は一審原告の印章によって顕出されたものと認めることはできない。そして、そのほかには、乙四号証の二の一審原告作成部分が真正に成立したことを認めるに足りる証拠はない。また、乙四号証の一は、一審被告の前記供述によれば、一審原告に白紙の状態で署名押印してもらったものに一審被告が後に委任事項等を記入したというのであり、そのほかに作成の趣旨目的を確認できる証拠はないから、一審原告が離婚意思を有しその届出を一審被告に委任したことまでを裏付ける証拠にはならない。そうすると、右各書証は一審被告の前記供述を裏付け得るものではなく、そのほかには前記認定を覆すに足りる証拠はない。したがって、前記協議離婚は無効というべきところ、戸籍の記載を真実の身分関係に改めるため一審原告には右無効の確認を求める必要があると認めることができる。よって、一審原告の本件協議離婚無効確認請求は、理由がある。

第二  一審原・被告の各離婚請求について

一  証拠(甲一の一・二、四の一・二、四の三の一・二、五の一・二、六ないし一三、二〇、二九の一・二、三〇、三一、三三、三九ないし四一、四四ないし四七、乙一、二、六の一の一・二、六の二、一審原告、一審被告(原審及び当審一・二回))並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実を認定することができる。

1  一審原告は、婚姻当時長野市内の株式会社八十二銀行(以下「八十二銀行」という。)に勤務しその後も右銀行に勤務していたが、昭和五五年に東京支店に転勤したため上京した。そして、昭和五七年に株式会社ウチダ和漢薬(以下「ウチダ和漢薬」という。)に出向したが、昭和五八年に八十二銀行を退職してウチダ和漢薬の役員に就任し、現在に至っている。一審被告は、婚姻後専業主婦であった。

2  一審原・被告は、婚姻後長野市の建物を建築してこれに住んでいたが、昭和四九年一一月に東京都内の幡ケ谷のマンションを購入した。そして、その後間もなくして、一審被告が二人の子どもに東京で教育を受けさせるという理由で右子供とともに上京し右マンションに住むようになったため、その後は、一審原告が前記転勤により上京するまで、一審原・被告は別居生活をするようになった。一審原告が昭和五五年に上京してからは、一審原・被告の一家は八十二銀行の社宅に転居して同居するようになったが、昭和五八年三月に大原の建物を購入して、右建物に転居した。

3  一審被告は、昭和六〇年一〇月五日、突然単身で大原の家を出て、京都に住むようになった。そして、一審被告は、本籍を京都市内に移した後、前記のとおり一審原告の実印に似せて作った印章を用いて無断で協議離婚届出をした。一審被告は、その後幡ケ谷のマンションに独りで住むようになり、現在までの長期間、一審原・被告は別居している。

4  一審被告の父親乙川行雄は、昭和六〇年四月二八日に長野市内で死亡したが、一審被告は、父親は長男乙川清(一審被告の兄)に毒殺されたと考えた。そして、一審被告は、長野市内で身内の者らにそう言って非難し、東京の自宅でも同様なことを述べ、更には一審原告も毒殺に関与したと非難するようになり、他人にもこのような信念を述べるようになった。一審原告は、一審被告は精神に変調を来しているものと疑ったので、精神科の医師に相談したが、一審被告は、一審原告が自宅の電話で医師に相談しているところを聞き、一審原告らが一審被告の財産を取り上げるため無理やり一審被告を精神病院に入院させようと画策しているものと考えた。そこで、一審被告は、一審原告のもとから逃れる必要があると考え、前記3のように家を出た。

5  一審被告は、昭和四八年から同五二年ころにかけて、長野市の建物、幡ケ谷のマンション及び軽井沢の土地について、一審原告名義の所有権ないし持分取得登記を一審原告に無断で一審被告その他の者の名義に変更した。一審原告は、これに対して昭和六一年にこれらの名義の回復を請求する前記所有権訴訟の訴えを提起し、一審被告は右変更後の登記は実体に合致する等と主張して抗争したが、平成七年一一月二七日にようやく一審原告の請求を大部分認容する一審判決が言い渡された。右判決に対し、一審被告だけが控訴したが、平成八年九月二六日控訴棄却の判決がなされ、平成八年一〇月二五日の経過により、一審被告の関係でも一審判決が確定した。

6  一審被告は、一審原告の勤務先である八十二銀行及びウチダ和漢薬に対し、一審原告が会社の資金について不正を働いているなどと申告して一審原告の立場を損なうようなことを繰り返した。

7  一審原告は、一審被告の右3ないし6などの言動に困惑したが、平成八年二月までには一審被告との婚姻関係継続の意思を喪失し、離婚を希望している。

8  一審被告は、婚姻後間もなくから一審原告に失望するようになり、婚姻は失敗であったと考えた。そして、幡ケ谷のマンションを購入したころまでには既に離婚についても考えるようになっていた。そのため、一審原告との同居中も一審原告に愛情を持って接することはできなかったが、昭和六〇年一〇月までには離婚することを決意して前記のように自ら一審原告に無断で協議離婚届を提出し、その後も右の決意に変わりはなく、離婚を希望している。

二  なお、一審原告が理由もないのに一審被告を精神病者のように仕立て上げて入院させようとしたこと及び一審原告が一審被告を遺棄したことを認めるに足りる証拠はない。また、一審原告に不貞行為があったことを認めるに足りる証拠もない。

三1  右一及び二の認定によれば、一審原・被告の別居は既に一一余年の長期間に及び、双方ともに円満な婚姻関係回復の意思はなく離婚を決意しているのであるから、右婚姻関係は破綻しこれを回復することは事実上不可能であると認めることができる。そして、右のように破綻したことについては、一審原告に特段の責任があることを認めることはできず、かえって、右破綻は主として一審被告の側に責任があるといわざるを得ないから、一審原告の本件離婚請求は、理由がある。

2  また、右のとおり別居期間が長期間に及び、一審原・被告の間には未成熟子はいないことのほか、両者の年齢及び同居期間並びに一審原告自身離婚を希望していることに照らすと、一審被告に右のとおり主な破綻の責任があることだけでは一審被告の本件離婚請求が許されないというべきではなく、そのほかに一審被告の離婚請求を許されないとするべき理由は見当たらない。

したがって、一審被告の本件離婚請求も、理由がある。

第三  一審原・被告の各慰謝料請求について

一  前記第二の認定によれば、一審原告は離婚のやむなきに至ったことにより精神的苦痛を被ったと認めることができる。そして、一審原・被告の婚姻関係破綻については一審被告に主な責任があるから、一審被告は一審原告に対し右精神的苦痛を慰謝すべき義務があるといわざるを得ない。もっとも、前記認定と弁論の全趣旨によれば、婚姻関係を破綻させる原因となった一審被告の一連の言動のうちには、一審被告の判断制御能力が減退した状態にあったことに起因するところも少なくないと推認されるから、右慰謝義務の具体的な内容についてはこのことが斟酌されるべきであり、また、右慰謝の関係は、本件では、双方から申し立てられている財産分与の裁判中で、一審原告のため慰謝料の性質を有する財産分与を認める方法で決めるのが相当である。そして、その具体的な内容は、後に判示するとおりである。

二  他方、一審被告の本件慰謝料請求は、婚姻関係の破綻について一審原告に責任があると認めることはできないから、全部理由がない。

第四  財産分与の申立について

一  長野市の建物、幡ケ谷のマンション、軽井沢の土地及び大原の建物が一審原・被告の婚姻中に取得されたものであり、これらが財産分与について検討の対象となる不動産であることについては、一審原・被告の主張は一致している(但し、一審被告は、これらのうち一審被告が固有の持分を有するものがあり右固有持分は財産分与の対象にならない旨主張している。)。そして、証拠(甲二〇、四五、四七)によれば、一審原告と一審被告ほかの関係者(乙川清、乙川寛、乙川由紀子、甲野和也)間で右不動産中長野市の建物、幡ケ谷のマンション及び軽井沢の土地の所有権の帰属ないし持分割合を実質的な争点として争われた前記の所有権訴訟の一審判決が既に確定しているところ、右所有権訴訟の一・二審判決では、次のとおり認定判断されていることを認定することができる。

1  長野市の建物は双方の合意により持分の割合を一審原告四分の三、一審被告四分の一とされているものである。ところで、長野市の建物については、一審原告が単独所有の所有権保存登記を経由していたところ、その後、別紙登記目録三記載(一)の登記により一審原告の持分四分の三、一審被告の持分四分の一とする登記に変更され、更に同(二)の登記により一審被告の単独所有の登記に変更されているところ、右(二)の登記は実体に沿わないものであるから、一審被告は、一審原告に対し、右(二)の登記の抹消登記手続をする義務がある(主文は、別紙主文目録第一の一3(一)のとおりである。)。

2  幡ケ谷のマンションは一審原・被告の共有として取得されたものであり、合意による持分の割合は、敷地が一審原告一三六万五二五四分の三六五四、一審被告一三六万五二五四分の一八二七、建物が一審原告三分の二、一審被告三分の一である。そして、幡ケ谷のマンションを買い受けた際、右持分割合のとおりの所有権取得登記がなされた。

ところが、右の敷地については、別紙登記目録一記載(一)の登記により一審被告の持分を一三六万五二五四分の五四八一とする登記に変更され、次いで同(二)の登記により右持分全部が乙川行雄名義に移転され、更に同(三)の登記により一審被告の持分一三六万五二五四分の二七四一、甲野和也の持分一三六万五二五四分の二七四〇とする登記に変更されている。しかし、右各登記はいずれも実体に沿わないものであるから、一審被告(乙川行雄の相続人の地位を兼ねる。)、和也、及び乙川行雄の相続人である乙川清、同乙川寛、同由紀子は、一審原告に対し、これらの登記についてそれぞれ実体に合致するように登記手続をする義務がある(主文は、別紙主文目録第一の一1(一)(1)ないし(3)、同二1(一)及び同三1(一)のとおりである。)。

また、前記建物については、別紙登記目録二記載(一)の登記により一審被告の単独所有名義に変更され、次いで同(二)の登記により乙川行雄名義に移転され、更に同(三)の登記により一審被告の持分二分の一、甲野和也の持分二分の一とする登記に変更されている。しかし、右各登記はいずれも実体に沿わないものであるから、一審被告(乙川行雄の相続人の地位を兼ねる。)、和也、及び前記乙川清、乙川寛、乙川由紀子は、一審原告に対し、これらの登記についてそれぞれ実体に合致するように登記手続をする義務がある(主文は、別紙主文目録第一の一2(一)(1)ないし(3)同二1(二)及び同三1(二)のとおりである。)。

3  軽井沢の土地は、一審原告単独所有として取得されたものであり、一審原告単独の所有権取得登記がなされた。ところが、右土地には、長野地方法務局軽井沢出張所昭和五二年七月二六日受付第三九五八号をもって一審被告のため真正な所有名義の回復を原因とする所有権移転登記がなされているが、右登記は実体を欠くものであるから、一審被告は、一審原告に対し、その抹消登記手続をする義務がある(主文は、別紙主文目録第一の一4のとおりである。)。

二  一審被告の提出した書証及び当審における一審被告の供述(第一・二回)のうちには、右判決の認定判断に抵触する部分があるが、採用することができない。そして、一審被告も、本件訴訟では、所有権訴訟の一審判決が確定したことを受けて、右各不動産についてはいずれも右判決により一審原告の権利と認定されたものの二分の一(寄与割合)についてこれを財産分与として一審被告の取得とすべきことを主張しているものである。

三  そこで、更に検討するに、証拠(甲七ないし一三、一五ないし一七、一八・一九の各一・二、二〇、二一、二二・二三の各一・二、二四ないし二七、二八の一ないし三、三〇、三二、三四、三五、三六の一・二、三七、三九、四〇、四一、四三、四五、四七、一審被告(当審一・二回))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認定することができる。

1(一)  長野市の建物は、一審原・被告が婚姻後昭和四一年中に約四〇〇万円の費用で建築し、同年中に前記のとおり一審原告名義の所有権保存登記を経由して住居としていたものであるが、右費用のうち、二〇〇万円は一審原告が八十二銀行から借り入れてまかない、約一〇〇万円は一審原告が右銀行の預金から出捐し(婚姻後相当長い期間が経過しているから、婚姻後の給与収入による部分が多いと推認することができる。)、約一〇〇万円は一審被告が固有資金により出捐した。そして、右借入金は、一審原告が給与収入から分割返済していたが、最終的に一審原告が昭和五八年三月三一日付けで同銀行を退職したときに退職金で返済を完了した。

(二)  長野市の建物は、昭和三九年に一審被告及び長男純一が乙川行雄から贈与された長野市三輪二丁目二八番二の土地を敷地として建築されたものであるが、右敷地は現在では一審被告の単独所有名義となっている。そして、右土地は、右建物建築当時には登記地積542.04平方メートルであったが、その後一審被告が数回分筆し、この間いったん長野市の建物のための敷地部分として193.36平方メートルとなったが、一審被告は、一審原告の承諾を得ないまま、長野市の建物の一部を大幅に取り壊して小さな建物に改造したうえ(平成八年五月一三日一部取り壊し等を原因とする表示の変更登記がなされた。)、二八番二の土地を更に分筆してこれを99.85平方メートルの土地としている(したがって、一部取壊し前の長野市の建物の敷地部分は少なくとも193.36平方メートルであったと認めるのが相当である。)。なお、一審被告は、昭和五二年ころから長野市の建物を賃貸して賃料収入を取得している(当初の二八番二の土地のうち長野市の建物の敷地以外の部分では、一審被告が自動車一一台分用程度の駐車場を経営している。)。

(三)  長野市の建物の平成八年度の固定資産評価証明書上の価格は一〇五万三〇三二円である。また、前記敷地の同年度の固定資産評価証明書上の価格は、面積を前記193.36平方メートルとして二一七九万四三七九円である。そして、右敷地の使用関係を使用貸借とした場合の右土地使用権の財産的価値は、経験上少なくとも更地価格の二割程度と認めることができるから、おおむね四三六万円程度になる。

2(一)  次に、幡ケ谷のマンションは、昭和四九年一一月一三日ころ代金一二四二万七四五九円で買い受けたものであり、このほかに内装変更工事代金として一五万六〇〇〇円を要した(合計一二五八万三四五九円)。右代金のうち、前金三六九万円は一審被告が固有資金により出捐した(前記持分割合は、一審被告が右出捐をしたことを考慮して合意されたものである。)。残金八七三万七四五九円及び内装変更工事代金は、一審原告が八十二銀行から八五〇万円を借り受けるなどして支払った。そして、右借入金は、一審原告の給与収入から分割返済していたが、最終的には前記退職金で返済を完了した。

(二)  幡ケ谷のマンションは、前記のとおり一時期一審被告と子どもが住居としていたが、一審被告は、すくなくとも昭和五八年から平成三年まで幡ケ谷のマンションを第三者に賃貸して単独で賃料収入を取得していた。平成三年当時には右賃料は一か月一五万円であった。そして、平成六年一月からは、一審被告がこれを住居として使用している。

(三)  平成八年度の固定資産評価証明書による幡ケ谷のマンションの敷地価格(二三憶四六二九万〇三二〇円)に基づいて、前記一審原・被告の持分合計一三六万五二五四分の五四八一の価格を計算すると、九四一万円程度になる。また、同様の評価証明書による建物価格は二九二万一二〇〇円であるから、土地建物双方について見ると、合計一二三三万円程度になる。

3(一)  軽井沢の土地は、昭和四七年七月、代金四七四万三三〇〇円で買い受けた。右代金のうち、三三〇万円は一審原告が八十二銀行から借り入れて支払い、残金一四四万三三〇〇円は一審被告が固有資金により出捐した。なお、右借入金は、一審原告が、前記給与収入により昭和五二年一二月までに分割返済を終えた。右土地は投資目的で買い受けたものであり、一審原・被告は現在までこれを更地で保有し続けている。

(二)  軽井沢の土地の平成八年の固定資産評価証明書上の価格は一〇七〇万二五四〇円である。

4(一)(1) 大原の建物は、昭和五八年三月に、敷地の賃借権とともに新築建物を代金五二五〇万円で購入したものであるが、原・被告は、同年五月二日、持分の割合を一審原告一〇分の九、一審被告一〇分の一とすることを合意してその旨の共有の所有権保存登記をした。敷地は一審原・被告が共同で賃借した。そして、一審原・被告は、大原の建物を住居としてきたが、一審被告が前記のように家を出てからは、一審原告が子供とともに住み続け、現在も一審原告が住居に使用している。

(2) 前記代金は、昭和五八年中に分割して支払われたが、右支払資金中三五〇〇万円は、昭和五八年四月ころ一審原告が八十二銀行から借入した。そして、右借入金は、長期間にわたる月賦返済のものであり、その後一審原告の給与収入から返済されてきたが、平成八年八月現在でも一六八七万円くらい残っている。

(3) 大原の建物の敷地は93.60平方メートルで、一筆の土地の一部であるが、右の一筆の土地(763.27平方メートル)の平成七年度固定資産評価証明書上の価格は三億九一三五万一四二〇円であるから右敷地については計算上四七九九万円程度になる。そして、借地権価格は更地価格の六割程度と認めるのが相当であるから、前記価格を基礎とした場合の前記借地権の価格は二八八〇万円程度になる。なお、建物の同年度の同様の価格は四二四万六六〇〇円であるから、以上の土地(賃借権)及び建物の価格は合計三三〇〇万円程度になる(前記購入代金額を下回るが、このことは、購入価格が新築建売価格であり建物部分が相当大きな割合を占めていたものと推認されることに照らすと、それほど不合理ではない。)。

(二)  ところで、前記代金及びそのほかの購入関係の費用のうち一審被告が固有資金で出捐した部分があることは、一審原・被告の主張自体に照らして明らかであるが、一審被告の当審における供述(第一・二回)中にはこれが合計五六〇万円であると強調する部分があり(そのうち四〇〇万円は一審被告が銀行から借入して支払い右借入金は一審被告がその後固有資金で弁済したというものである。)、一審原告は、一審被告が固有資金で出捐した金額は一〇〇万円であると反論している。しかし、乙二一号証の一は一審被告の右供述の一部の裏付証拠となり得ないものではないし、とりわけ前記のように大原の建物は一審被告に持分一〇分の一があるものとして取得されたものであるから、本件の証拠関係のもとにおいては、一審被告の固有資金による出捐が前記代金中一〇分の一(五二五万円)程度は存在したものと認めるのが相当である。

5(一)  なお、一審原告は、一審被告は大原の建物を出た際一審原告が購入して保有していた書画骨董類を持ち出したから、このことが財産分与について考慮されるべきであると主張している。そして、弁論の全趣旨によれば、一審被告が右のように持ち出した書画骨董類があることを認めることができる。しかし、本件の全証拠によっても、右書画骨董類の具体的な内容及びその財産的価値等を確認することができないから、右書画骨董類があったことは、財産分与の裁判について重視することはできない。

(二)  他方、一審被告は、一審原告は長野市内の若槻団地及び浅川団地と呼ばれる所の不動産を購入した上これらを売却して収入を得たと主張しているが、これを裏付けるに足りる証拠は存在しないから、採用することはできない。また、一審被告は、一審原告に対し合計三〇〇〇万円を預託したのにその返還を受けていないと主張しているが、乙一七号証の一ないし四はその的確な裏付けということはできず、そのほかに右事実を認めるに足りる証拠はないから、採用することができない。

(三)  そのほかに財産分与の前提となる財産があることを認めるに足りる証拠はない。なお、一審被告は前記のように長野市の建物を賃貸し、幡ケ谷のマンションも賃貸していたのであるが、これらによる収入が財産分与の裁判において勘酌することを相当とする状態で保有されあるいは消費されたことを認めるに足りる証拠はないから、このことを財産分与の裁判について重視することはできない。

四1(一) 以上に基づいて具体的な財産分与の方法について検討するに、まず、長野市の建物及び幡ケ谷マンションについては、その取得経緯、現在までの利用状況及びその他の財産の状況等に鑑み、これを一審被告の単独所有とするのが相当である。

(二)  そうすると、長野市の建物については、前記三1(三)の約一〇五万円と約四三六万円の合計五四一万円を基礎とし(その他には金銭的評価が可能な資料が提出されていない。この点は、その他の不動産についても同様である。)、かつ、前記三1(一)のように取得資金が出捐され三対一の共有と合意されたことに鑑みると、五四一万円の四分の三である四〇六万円相当部分が一審原・被告が共同して取得した実質的共有部分に該当するものと認めることができる。そして、右の実質的共有部分の取得に関する寄与分は、婚姻生活状況を考慮すると、一審原・被告とも等しいものと認めるのが相当であるから、これを金額にすると、双方について二〇三万円になる。そうすると、長野市の建物を一審被告単独所有とすることにより、一審被告は、右二〇三万円分を実質上過大に取得する計算になる。

(三)  幡ケ谷のマンションについては、前記三2(三)の一二三三万円を基礎として、これから一審被告固有資金による出捐相当部分(一二五八万三四五九分の三六九万〇〇〇〇である三六一万五六七五円)を控除した残額八七一万円程度に相当する部分が、一審原・被告の協力により取得された財産であり、また、前記のように寄与割合は平等(各四三六万円程度)と認められるから、幡ケ谷のマンションを一審被告の単独所有とすることにより、一審被告は、右四三六万円を実質上過大に取得することになる(なお、幡ケ谷のマンションについては、前記のとおり乙川行雄ないしその相続人及び甲野和也のための登記がなされており、所有権訴訟の判決によっても右登記がすべて抹消されることにはならない。しかし、一審被告の当審における供述(第一・二回)及び弁論の全趣旨によれば、これらの登記は実体関係がないのに一審被告の一存でなされたものであって、一審被告以外の相続人及び甲野和也が幡ケ谷のマンションについて権利を有することを主張するような関係にないことが明らかである。)。

2(一) 次に、大原の建物及び敷地賃借権については、その取得経緯、一審原・被告の出捐割合及び現在までの利用状況等に鑑みると、これを一審原告の単独所有とするのが相当である。

(二)  一審被告は、大原の建物の持分一〇分の一は一審被告の固有財産であるから、右持分は財産分与の対象とすることはできないと主張している。そして、大原の建物については一審被告の持分を右主張のとおりとすることが合意され、かつ一審被告は大原の建物を取得する際おおむね右持分に相当する固有の出捐をしたことは前記認定のとおりである。しかし、大原の建物は、一審原・被告が婚姻を維持するためその住居とする目的で購入されたものであり、現にそのように使用されていたこと、その所有形態が共有とされていること、そして右共有関係は現物の分割により解消することは事実上不可能であることに鑑みると、右建物及び敷地賃借権は一審被告の持分も含めて財産分与の対象とすることができるものと解するのが相当である。したがって、一審被告の前記主張は、採用することができない。

(三)  ところで、一審被告は、大原の建物を取得した際買受代金の一〇分の一程度(五二五万円程度)を出捐したほか、購入代金額から右五二五万円及び借入金三五〇〇万円を控除した残額(一二二五万円)の支払資金についても、その形成に五割(六一二万五〇〇〇円程度)の寄与をしたものと認めるのが相当である(右一二二五万円の形成方法を具体的に確認するに足りる証拠はないから、一審原・被告の協力により形成された資産であったと推認するのが相当である。なお、右五二五万円と六一二万五〇〇〇円の合計は一一三七万五〇〇〇円である。)。しかし、借入金(三五〇〇万円)については、大原の建物の取得後二年余の後に一審被告は家を出てその後一審原・被告は別居していること及び右借入金は長期にわたる分割返済債務で別居後も一審原告が右借入金を弁済し続けてきたが現在でも高額の残債務があることに照らすと、右借入金により取得された部分については一審被告の寄与があったことを認めることはできないというべきである。そうすると、大原の建物についての一審被告の寄与割合は五二五〇万〇〇〇〇分の一一三七万五〇〇〇である21.7パーセントになるところ、前記三4(一)(3)の三三〇〇万円から借入金残債務一六八七万円を控除した残額一六一三万円の右割合分は、計算上三五〇万円程度である。そうすると、大原の建物を一審原告単独所有とすることにより、一審原告は、右三五〇万円分を実質上過大に取得する計算になる。

3(一)  以上によると、長野市の建物及び幡ケ谷のマンションの関係では一審被告が合計六三九万円分を実質上過大に取得し、大原の建物の関係では一審原告が三五〇万円分を実質上過大に取得することになるが、右の差し引き二八九万円程度の差額は、次のとおり軽井沢の土地の財産分与について勘酌するのが相当である。

(二)  すなわち、軽井沢の土地は一審原・被告が投資の目的で取得し、現在も更地のまま保有されているのであるが、本件証拠上軽井沢の土地を直ちに全部換金し、あるいはどちらかの単独所有とすることが必要な事情は見当たらないから、右土地は、他の不動産の前記分与等との調整を兼ねて、一審原・被告の共有とする方法により分与することが相当である。ところで、軽井沢の土地の取得については、一審被告は、一審被告が出捐した一四四万円三三〇〇円のほか、借入金三三〇万円の五割である一六五万円分(合計三〇九万三三〇〇円)についても寄与しているものと認めることができるから、その寄与の割合は、四七四万三三〇〇分の三〇九万三三〇〇である65.2パーセントになる。そして、前記三3(二)の一〇七〇万二五四〇円中の右割合は六九八万円程度になり、残りの三七二万円程度が一審原告の寄与により取得された計算になる。ところで、長野市の建物、幡ケ谷のマンション及び大原の建物の分与の関係で一審被告は差し引き二八九万円程度を実質上過大に取得する関係にあるから、これを軽井沢の土地の分与中で清算すると、右土地については、一審被告は四〇九万円程度、一審原告は六六一万円程度の持分(三八パーセント対六二パーセント)となるように分与するのが相当ということになる。更に、前記第三の一のとおり、一審被告は一審原告の精神的苦痛を慰謝すべき義務があるところ、前記のとおり、一審原告の慰謝料請求については、財産分与の裁判中で一審原告の取得分に慰謝料の性質を有する分与分を加える方法により決するのが相当である。そして、以上のことと、本件に現れた一切の事情によると、軽井沢の土地については、一審原告七割、一審被告三割の割合による共有とする方法で分与するのが相当である。

4  なお、扶養の性質の財産分与については、本件ではこれを考慮するべき事情があることを認めることはできない。

五1  本件では財産分与に伴う登記手続も申し立てられているので、右付随的処分について検討するに、まず、長野市の建物については、前記認定のとおり既に分与後の実体に沿う一審被告の単独名義の登記がなされているが、所有権訴訟により、一審被告に対し、持分移転登記の抹消登記手続をする(その結果一審原告の持分四分の三、一審被告の持分四分の一とする共有の登記名義になる。)ことを命ずる判決が確定し、意思表示を命ずる判決として狭義の執行は終了しており、ただ、弁論の全趣旨によれば、本件口頭弁論の終結時には所有権訴訟の判決確定後間がないため実際の登記手続はなされていない状態にあることを認めることができる。そして、本判決による財産分与の裁判では所有権訴訟の確定判決の効力を失効させることはないのであるから、前記の付随的処分としては、一審原告に対し、所有権訴訟の判決による長野市の建物関係の登記手続がなされたときに、一審原告から一審被告に財産分与を原因として持分四分の三の移転登記手続をするよう命ずるのが相当である。

2  幡ケ谷のマンションの登記関係と所有権訴訟の関係も、前記のとおり長野市の建物の場合と同様の状態にある(所有権訴訟の判決に基づく登記がなされると、一審原告のため敷地については一三六万五二五四分の三六五四、建物については三分の二の持分が登記されることになる。)。したがって、一審原告に対し、所有権訴訟の判決により幡ケ谷のマンション関係の登記手続がなされたときに、一審原告から一審被告に財産分与を原因として土地については一三六万五二五四分の三六五四、建物については三分の二の各持分移転登記手続をするよう命ずるのが相当である。

3  軽井沢の土地については、所有権訴訟の判決に基づく登記がなされると一審原告の単独所有の登記になるから、右登記がなされたときに、一審原告から一審被告に財産分与を原因として持分一〇分の三の移転登記手続をするよう命ずるのが相当である。

4  大原の建物については、一審被告から一審原告に持分一〇分の一の移転登記手続をするよう命ずるのが相当である。

第五  結論

以上の次第で、原判決中、一審原告の協議離婚無効確認請求及び一審被告の離婚請求を認容した部分並びに一審被告の慰謝料請求(但し、拡張前のもの)を棄却した部分は相当であるが、財産分与の裁判は前記判示と異なる限度で相当でないから原判決はその旨変更されるべきである。また、一審原告の当審における新請求中、離婚請求は理由があるから認容すべきであり、慰謝料請求はそれ自体としては結局理由がないことに帰し、財産分与については前記のとおり定められるべきである。そして、一審被告の慰謝料請求中当審で拡張された部分の請求は、理由がない。よって、訴訟費用の負担について民訴法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官丹宗朝子 裁判官加藤英継 裁判官北澤章功)

別紙物件目録<省略>

別紙主文目録<省略>

別紙登記目録<省略>

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